2008/09/30

川崎大師くらいでしょうか──川崎市

2008.9.19-23
【神奈川県】


 関東地方では一気に上着が欲しくなる陽気となりましたが、しばらくは気温の変化が激しいと思われますので、体調管理にはお気をつけ下さい。
 年をとるほどに「敏感肌」「デリケートなお肌」化が顕著に現れていて、湿度が下がった途端に肌が反応し始めました。
 お肌のうるおいが失われてきているとは、カサカサ肌をポリポリかいているということなんですが、でもこれって切実なんですよねぇ。

 横浜もだいぶ回ったので、ボチボチ現在住んでいる川崎市を紹介しようと考えたのですが、何にも無いことに気付かされました。
 名前を挙げて通じそうなのは、川崎大師、サッカーファンならフロンターレくらいでしょうか。
 これも有名な工場地帯は国を支える役割を担っているのですが、排気ガスや公害等のマイナスイメージがつきまとってしまうので、住民としては微妙なところです。
 高度成長期からは格段に改善されているとは思っておりますが……
 しかし身近で感じるイメージダウンの象徴と言えるのがJR南武線です。
 週末には、競馬新聞を広げ赤ペン(or 赤鉛筆)を握りしめた客層が多くて、特に立川方面の電車では閉口したことがあります。
 川崎には競馬・競輪、多摩川には競艇、府中には東京競馬場、立川には競輪等のある駅をつなぐ「ギャンブル電車」ですから、関心のない乗客には憂鬱な時間になります。
 東京の周縁地域に散在する(都心には置いておけない)ギャンブル施設ですから、庶民にも自治体の税収にも必要なのかも知れません。
 わたしも含めてギャンブルをしない人たちが、何とかならないか? などと要望しても難しそうです。
 ──赤ペンで丸印を書いたような外装のギャンブラー専用車両を、開催日限定でも設置してもらえないでしょうか?

 上写真は、JR川崎駅北口にあった東芝の広大な工場跡地の再開発で建設された、大規模商業施設「ラゾーナ川崎プラザ」です。
 いつもはこの手の商業施設を「没個性的でどこの町だか分からなくなる」と批判的なのですが、ここに関してはこれまでの川崎のイメージを払拭するためにも、明るさをアピールしてもらいたいものだと思っております。
 写真のにぎわいはスターダストレビューのライブの様子ですが、既に新しいイベントスポットとして注目されているようです。バカ殿(志村けん)も来て盛り上がったそうです。
 やれば出来るじゃないか、川崎も。


 川崎大師

 神奈川育ちのわたしは「厄除け=川崎大師」のような固定観念としてすり込まれているので、「大師=弘法大師」という認識を持たぬまま厄除けのお祓いを受けに来たような気もします(行けばいいんでしょ、の気持ちじゃダメですよね)。
 1128年の建立だそうですから、平安時代末期という時節になります。弘法大師空海は835年に入定(肉体が即身仏となるための修行)したので、建立は弟子たちの手によります。
 この寺の縁起(起源)も関東らしく(?)、海から引き揚げられた像をご本尊としているそうです。浅草寺も同様のようですが、真相についての言及はいたしません。
 確かに起源も大切ではありますが、900年近く続いてきた人々の信心が大切であることが伝わってくるたたずまいです。
 そんな文化に身を委ねることで、身近な社会とのつながりを担保できるのであれば、見事な仕掛けであると思いますし、先人に倣おうと納得したのだと思います。
 門の巨大ちょうちんには「魚がし」と書かれてあるそうです。
 ご本尊を引き揚げたのが漁師であったことから、魚河岸で信仰が広まったという経緯だそうです。
 創建当時、辺境の漁村であったころの面影をしのばせる、ほのぼのとした逸話に感じられます。


 上写真は境内にある聖徳太子堂に貼られた千社札(せんしゃふだ が正しいそうです)です。
 京都では「千社札禁止」ですから、久しぶりに見た気がして調べてみると、左側にある木の札がもともとの姿なんだそうです(接着剤には何を使ったのでしょう)。
 どんな意味があるのかと思っていたら単なる参拝記念だそうで、目立つ場所への落書きは、昔から変わることのない非社会的な自己顕示欲の表現手段のようです。
 右に見える紙の部分がはがれて墨の文字だけが残ることを「抜け」と言うんだそうです。
 これは想像ですが、江戸の文化では貼られた数で人気ランクを競ったりしていたかも知れません。


 上写真は川崎河港水門の上にある、以前の特産品「梨・桃・ブドウ」の彫刻だそうです(ブドウ以外よく分かりません)。
 そういえば、むかしの南武線沿線には梨や葡萄畑が広がる景色がありましたねぇ。ガキのころに多摩川沿いに梨狩り(もぎ?)に来た記憶があります。
 小学生時代に「京浜工業地帯」と習ったころ、内陸部にはまだ果樹園が広がっていたんですよね。
 何かとてもホコリっぽかった印象がありますが、大気汚染のイメージよりはよかったのではないでしょうか。


 多摩川

 多摩川というと何か「東京のモノ」というイメージがあります(源流は山梨県で、流域のほとんどが東京都に接しているのは確かです)。
 下流域では、東京と神奈川の都県境を流れているので共有しているはずだと思うのですが、川に接する町のイメージに負うところが大きい気がします。
 京浜東北線の蒲田 vs 川崎ではドロー(勝負不成立)ですが、東横線の田園調布 vs 武蔵小杉や、田園都市線の二子玉川 vs 溝ノ口ではその差は歴然ですから、仕方ありませんね……
 右写真は二子玉川付近で、東京側の河川敷はバーベキュー禁止ですが神奈川サイドはOKとのことで、二子玉川で(高級?)食材を購入してから、橋を歩いて渡り神奈川県の河川敷でバーベキューをして、神奈川にゴミを捨てて帰るグループが多く、問題になっているとのことです。
 笑っちゃうのが神奈川の対応策で、ゴミ集積所を作ったんだそうです。お人好しというか、釣りの入漁料のようにお金を取ればいいのに! と思ってしまいます。
 東京近郊でバーベキューOKを出している河川敷なのですから、きちんと自治体等が管理して、器具のレンタルを含め高級食材(少々高くても文句言われないって)を提供できれば、手ぶらで行けるバーベキュー施設として人気が出ると思うのですが、いかがでしょうか?

 右写真は、小田急線登戸近くにある二ヶ領上河原堰 (にかりょうかみがわらぜき)付近の「二ヶ領用水」取水口付近になります。
 ──1974年の台風時に、この堰に流れを妨げられた水流が東京側の堤防を削り取り、家が流されてしまうというショッキングな映像がテレビで中継されていました。後に「岸辺のアルバム」というドラマの題材に使用されましたが、もう覚えている人は少ないかも知れません。

 二ヶ領用水はもともと農業用水でしたが、現在では地域住民の憩いの場という役割がメインかも知れません。
 家の近所まで流れてきており、桜や梅の並木が続くいい散歩道なのですが、源流が多摩川ですから水質はご想像の通りです。
 途中、久地円筒分水(くじえんとうぶんすい:水利争いを解消するための分配施設)付近で水路が立体交差しています。
 その仕組みには驚きの声を上げたのですが、湧き出ている水質がもう少しキレイだったら紹介できたのに、と……

 大阪の高槻に転居するまでは川崎市の武蔵小杉に住んでいましたから、Uターンになります。
 高槻よりこちらの方が、シャワーのお湯が目に染みない気がします。あちらの水源は琵琶湖〜淀川から(と思う)ですから、薬品をたくさん使っていたのではないだろうか。
 調べてみたら、横浜・川崎の上水道は神奈川県の水道事業により、相模川・酒匂川水系から取水しているとのことです。
 てことは、東京都よりもきれいな水かも知れません(ちょっとうれしいかも)。

 「川崎のイメージそのままじゃん」と納得されるような悪口ばかり書いてきましたが、交通の便の良さと物価が安いことは生活拠点としての利点だと思います。
 日本一儲けている東急電鉄の宣伝をしても仕方ないのですが、渋谷、恵比寿、目黒、横浜まで20分程度で行けますし、数年後には新宿まで直通で行けるようになります。
 JR横須賀線の駅が開業すれば、東京までも20分程度、鎌倉(? わたしには重要だったりします)までも40分程度で行けるようになると思われます。
 この地域では差別につながる意識は無いと思われるので使いますが「川向こう」(対岸の田園調布から下に見られていることを理解できてないだけ?)に住むことを受け入れられるならば、東京圏に通う庶民が暮らすには便利な場所と思われます。
 ──とは言え結局は、ご想像の通り特に好きなわけではありません……

P.S. 生田緑地をここに収めるつもりでしたが、結構撮ってしまったので別枠にしようと思います。

2008/09/23

YOKOHAMA TRIENNALE 2008

2008.9.17
【神奈川県】

 横浜トリエンナーレ 2008


 トリエンナーレとは、3年に一度開かれる現代美術の国際展覧会で、2年に一度開かれるものをビエンナーレと言います。
 ですがその動機はご想像の通り町おこし的なもので、今回で3回目ですが資金的な問題等で開催が1年延期されたこともあり、本当の意味で定着するかの判断にはまだ時間がかかりそうです。
 今回の会場でも、確保されたスペースの割には空き区画が目立ち、集まりが悪かったのでは? とも思わされ、運営も大変なのかも知れません。
 この手の展覧会は性格的に、何かと意表を突こうとするのでどこが展示スペースなのか分かりづらく、くまなく歩き回り「女子トイレ」の張り紙を目にしても「フェイク(偽物)か?」と疑う気持ちを持ちつつ、さまよってしまいます。
 逆に「展示はこちら→」等の看板が立っていると、出会いの驚きが失われてしまうのも確かですから、難しいと思います。
 上写真はフラフープをドーム状に組んだもの──大阪万博('70)の「みどり館」のような形状、という例えでは古すぎ?
 下写真は展示物が面白くない中、そんなブース間の廊下の方が絵的! と感じた「わたしの作品」です。


 いまどきの「アート」とは映像が主流のようで、与えられたスペースを映画館のような暗がりにしてスクリーンやディスプレイで映像をたれ流しているブースが圧倒的です。
 ──真っ暗な部屋で「椅子がありますから注意して下さい」と言われたって、見えないんだものつまずきますよ!
 映像はいわゆる「総合芸術」であるとは思いますが、ここで繰り広げられる「動く絵」には尖った主張だけしか感じられません。
 それが「アート」と作者は言うかも知れませんが、上映に付き合うということは大変な労力(忍耐力)が必要であること、作者たちの意識の中にはあるのだろうか?
 座って見たいと思うものはひとつもありませんでした。

 低予算の限られた資源で実現したい気持ちも理解できますが(学生時代そんなことを志したこともありました)、そのためには主張だけではなく、ねられた主題とアイディアが必要であると思われます。
 近ごろでは、ネットでもYou Tube等での動画流通が増えてきましたが、動画へのアプローチがしやすくなったという背景があるのかも知れません。

 現状の「破壊」から「再生」(これは時流のエコにつながる程度の意識までにしか至っていない)で終わってしまっている印象が強く残ったのと、その先の「再構築」を感じさせられるものが見たかった、というのが感想のようなものです。

 わたしが参加出来たのは、下写真程度です。
 額縁にいれた鏡を割ったものがいくつも並べてあります。
 空間が歪んで、見えるべきモノがそこにないというのは、確かに非現実的であるとは思うのですが……


 そんな文句ばかり言うクセに何で行くんだ?
 と問われれば、普段入る機会のない場所や建物に接する機会を与えてくれるからです。
 右写真の赤レンガ倉庫や日本郵船の倉庫(上の椅子写真の付近)は、普段もホールや展示スペースになっているので入ることは可能なのですが、なかなか機会がありません。
 ──中に入ると「展示はこちらです」と言われようが、倉庫等の中をあれこれ歩き回ったりしています(それが楽しいの!)。
 そして今回の目玉が下写真で、普段入れない新港埠頭客船ターミナルにある「ハンマーヘッドクレーン(50t起重機)」に近づくことができました。
 1913年(大正2年)にイギリスから導入されたそうです(現在、使用可能な状態で休止中)。ちなみに佐世保には同時代の250tクレーンが現役で稼働しているそうです。
 クレーンのある埠頭(新港埠頭8号岸壁)には結構大きな展示用の建造物が建てられていて、その中には入れるのですが柵から外には出られません。
 しかし、柵の外には港湾関係者とは思えない若者がウロウロしています。「なんでやねん?」と思っていたら、隣の建物は東京芸大の校舎なんだそうです。
 なるほど、近くの運河沿いにも美術系専門学校の教室があったりしますから、こういう環境の中でアイディアを練るというのは、いい刺激になるのではと思えます。
 だったら、普段から一般人も入れてくれよな! と思ってしまいます。


 わたしは今回の中では上写真が一番気に入っているのですが、目次では妙な写真を使いました。
 英語タイトルにしたこともあり、海外向けにちょっと実験してみたかったので……

2008/09/15

実りの季節──寺家ふるさと村、こどもの国

2008.9.10-13
【神奈川県】

 寺家(じけ)ふるさと村


 ここは寺家(じけ)町という地区で、横浜市の北端と東京都町田市のちょうど都県境付近にあたり(この辺りは横浜・川崎・町田市の境界が複雑に入り組んでいます)、山を含めた一帯を昔の姿のままで保存している里山公園的な地域になっています。
 ここは横浜? と思われるかも知れませんが、横浜の開発未着手地域にはまだまったりとできる場所が点在しています。
 近ごろでは里山を公園として活用しているところを多く目にしますが、これだけの田んぼを残して稲作を継続させているところは、この近くにはないと思われます。
 公共的な施設ですから人を集めるには必要なのでしょうか、一画には研修施設、陶芸教室やテニスコートまであったりします。
 ここは、谷戸(やと)といわれる小高い丘に挟まれた谷筋のあまり広くない土地に、地形に沿って田んぼが区割りされています。
 それぞれの谷の一番奥にはかんがい用水のため池が作られていています。かんがい用水はそれぞれの谷筋に沿って流れていきますから、とても理にかなった構造になっています。


 先週までのまとわりつくような夏の空気ではなく、カラッとした秋晴れのもとなので、少々汗ばんでも心地よく感じられます。
 そして実りの季節とくれば「おいしいお米が食べられる〜」などなど、表情がゆるんできてしまう時節の到来です。
 旬を楽しむことに異議をとなえるつもりは毛頭ありませんが、季節感をどうしてこう食に結びつけてしまうのでしょう……(確かに京都では、年間を通じて楽しもうとする文化がはぐくまれていました)
 年に一度の楽しみですものね! サンマはもういただきました。


 前回訪問時に、次は田んぼが黄金色に染まるころに来たいと思っていて、この日は収穫期をむかえた区画から刈り取りが始まったようで、タイミングとしては良かったと思います。
 谷戸という地形上、大した傾斜ではなくても斜面に対して小さな段々になった田んぼが続いており、少しずつ収穫期がずれているようなので(意図的にずらしているのかも知れませんが)まだ2週間程度はこんな光景が見られるのではないかと思われます。
 天気のいい日には、散策などにいらしてみてはいかがでしょうか?

 ※東急田園都市線 青葉台駅より 鴨志田団地行きバス 終点より徒歩3分程度。


 こういう写真に文章をつけていると、内容までやわらかくなっていると感じられるところがいいですね。

 などと書いた後ですが、残留農薬やカビの含まれる輸入米を見つけた段階で輸出国に送り返すことは出来ないのだろうか?
 海外に毒入り食料を輸出してオリンピックを開催した国。国民に毒を食わせておいて、これは別の話と総裁選挙で支持を訴える国。
 ギョーザの件も含めて問題が発覚しなければ、誰が私腹を肥やそうが、どこの誰が腹を下そうが「よきにはからえ」では、どちらの国も「非文明国」としか思えないのですが……


 こどもの国


 前述のふるさと村と尾根を挟んだ反対側に広がる、公園施設です。
 ──ここは以前日本軍の弾薬庫だったそうで、園内には閉鎖された壕の跡が多く見られます。園内に2つあるトンネルは弾薬輸送鉄道用だったそうです(現在東急こどもの国線)。

 ここのグラウンドではもうスポーツの秋が開幕しています。少年サッカーの大会が開かれており、上写真の彼らは試合前のウォームアップをしているところです。
 いまどきの応援設備というのでしょうか、木陰に置かれた子どもたちのスポーツバッグの横に、背もたれ付きの折りたたみイス(映画監督のイスと同じ形状)がズラーッと並んで置かれています。
 そのチームは試合中だったようで、周囲には誰もおらず様子はうかがえなかったのですが、あのイスには、誰が座るんだろうか?
 もし子どもたちが座って足のマッサージなどをしてもらうようであれば、そんな光景に出くわさなくて良かった気がします。
 将来を有望視される少年たちなのだろうか?
 わたしは野球少年でしたが、みんな地面に座って休んでいましたもの。

 右上写真は白鳥湖(人工池)のほとりです。
 いまどき柵のない水辺というのは珍しいのですが、親が同伴している前提であれば危機意識を学ばせるためにはいいのでは、とも思えましたが、落ちるこども結構いるんだろうなぁ〜。
 彼女は、もちろん飛び込もうとしているわけではなく「池の水が汚れるのでコイにエサをあげないでください」の注意書きに従い、落ち葉をエサに見立ててコイを呼び寄せています。
 これでいいのだろうか? の思いはありますが、オレたちもガキのころそんな風に身近な生き物たちと接し、学ばせてもらいましたもの。ホント、ゴメンナサイね……

 この日の目的は、鮮やかな緑の中で駆け回る子どもたちを撮ることだったのですが、どうも雲行きが怪しくなってきて、近ごろのトラウマである豪雨は避けたい気持ちから、とっとと帰ってきました。
 多少濡れてもいいか、と思えない夏が来年からも続くやも知れませんが、とりあえずあと一週間で秋分です。
 そんな、場当たり的な意識が一番良くないのかも知れません……

 P.S. ノロノロ台風のおかげで、与那国島とはもう2日間も音信不通(電話もメールも)だそうです。加えてリンクを張っている「ヨナグニウマふれあい広場」のある久部良集落は孤立状態だそうです。無事であってもらいたいと願っています(人も馬も)。

2008/09/09

おしゃれじゃない横浜──鶴見

2008.9.5-6
【神奈川県】

 鶴見線

 横浜市の東端に、あまり明るいイメージを持たれていない鶴見という町があります。
 埋め立て地には工場群が立ち並んでおり、部外者はほとんど立ち入ることもない京浜工業地帯を構成しています。
 そんな工場群に人を送り込む血管のように、それぞれの埋め立て地に向かって伸びているJR鶴見線という路線があります。
 まさしく工場に人を送り込むための通勤用の鉄道ですから、朝・夕の通勤時間以外は1時間に一本程度の運行になります。
 そんな交通インフラ的な性格なので、繁盛している路線のようなサービスは皆無で「電車が走ればいい」という運営方針のようです。
 そのおかげで古い構造物などがそのまま残されていて、絵になる光景に出会うことができます。
 右写真下側に見える、こげ茶色の木の長いすなんてもう東京近郊では目にしなくなりましたよね。


 上写真は国道駅の高架下です。
 まずそのネーミングがスゴイですよね。ご想像の通り、下に国道が通っているとの理由から命名されたそうです。以前は国道1号とされていたそうで(現在は15号に変更)、いまでも愛称である「イチコク」の名を掲げた看板が近くに見られます。
 ちなみに関西には「阪神国道駅」があるそうで、そんなネーミングの安直さは東西を問わないようです。
 こんな絵を何かの映像で目にされたことあるかと思われますが、レトロな雰囲気が人気で数多くの映画等でロケに使われているようです。この日もロケハンと思われる集団がいました。
 かつて駅の高架下には商店が並んでいたようですが、いまでは明かりのついている焼鳥屋さんだけになってしまい、ゴーストタウンのようです。ここは現在無人駅です。



 上写真は鶴見線(支線がいくつもある)のひとつの終点である海芝浦駅で、ご覧のようにホームが海に面しています(車内から撮影)。
 ひとつ手前の「新芝浦」の駅名も含めて、東芝(旧東京芝浦電気)の工場があるので「芝浦」の名前になったそうです(東京の田町付近のような地名ではありません)。まあ「○○前」と企業の名前をつけたバス停などはいくらでもありますしね。
 ここ海芝浦駅の改札の外は東芝工場の門になっていて、関係者以外は外に出ることはできません(現在、門の手前に小さな公園が作られています)。
 ですが、休みの日には従業員の方はいませんから、電車でしか行けない観光スポットのようでもあり(外にも出られないので行って戻るだけですが)、なかなか経験できない感覚として楽しめると思います。
 デートのカップルや、モデルさんを頼んだらしい撮影会(3人くらいのオタク系)など、公園感覚で訪れる人が多いようです。
 電車は1時間に1本程度しかないのでビビッていましたが、折り返しまで20分くらい時間はありましたし鶴見からも15分弱ですから、気軽に行ける異空間という印象でしょうか。
 海とはいえここは東京湾の運河ということをお忘れなく。キレイな海を期待する方などおられないとは思いますが、念のため。


 總持寺(そうじじ)

 曹洞宗のお寺です。禅寺は久しぶりですが、曹洞宗と言えば? はい、道元ですね。永平寺と並ぶ大本山なのだそうです。
 何で門に菊の紋があるのか疑問だったのですが、ここは後醍醐天皇(1339年没)より官寺を賜り曹洞宗大本山と称するようになったそうで、天皇を奉る社があります。
 ですがそのころ後醍醐天皇は、鎌倉幕府の打倒を計画していたと思われ、鎌倉五山とされた臨済宗のお寺に対抗するような政治的意図があったようにも思えます。
 いずれにしても、天皇に認められれば大本山に昇格とは、ここでもいい加減な序列がまかり通っているのかと。
 そりゃここも日本ですから……(總持寺を批判するものではありません)
 ──永平寺も含む禅寺でよく見られる直線上に並ぶ伽藍(三門・法堂・仏殿・方丈)配置でないことからも、成り立ちの経緯の違いが感じられます。

 しかし当時に思いをはせると、京都にいた天皇は話しを聞かされたこの寺のことをどのように思い浮かべたのでしょうか。
 感覚としては、異国のように遠い存在という認識であったと思えますし、情報化社会の現在でも、映像を見たり会話をしたりはできますが、心のありようの差異までは読み取れないのではないか、と思われます。
 関東から見ても、京都とははるかな地であったことを再認識しました。

 現在の建造物は、京都の東・西本願寺にも匹敵するのではと思われる巨大な建物が点在しています。観光バスでお参りに来られる方々がおられるお寺ですから、それなりの規模が求められるのだと思われます(駐車場も広い)。
 しかし、表の顔とも言える三門などが何の迷いもなくコンクリートで作られ、当たり前の表情をして参拝者を迎えています。大切なのは心のありようなのです、とでも語りかけているのでしょうか。
 これは想像なのですが、禅宗という教義の性格上から、お布施をあまり求めたりしないのではないだろうか。また、建造物(入れ物)についてもお金のかかる木造にはこだわらない、という姿勢なのかも知れないとも思われました。
 きっと、そんな姿勢が人の心をつかむのかも知れません。
 ちょうど仏殿からは「個人修行」というのでしょうか、多数の僧侶のかけ声や奇声がバラバラに聞こえ、混沌とした空気が伝わってきます。声のそろった読教も迫力がありますが、周囲の騒音にとらわれずに己の世界に集中する姿には、俗世に生きるわれわれも学ぶべきものがあると感じられます。

 これは有名かと思われますが「裕ちゃんのお墓→」の手製の看板が、石原裕次郎のお墓の場所を案内してくれます。今回は行きませんでしたが、立派なお墓でお花の数がすごかったこと印象に残っています。


 沖縄タウン


 「ソーキそば」「ブルーシール」「残波」「沖縄そば」「サーターあんだぎー」など並んだのぼりを見ると、那覇の国際通りの雰囲気を思い出します。
 この付近には沖縄県出身者の方が多く暮らしているそうで「鶴見沖縄タウン」と呼ばれ、沖縄関連のお店が数多く並んでおり、沖縄関連飲料だけを販売している自動販売機もあったりします。
 ここは、鶴見沖縄県人会館の建物にある「おきなわ物産センター」で、沖縄でしか手に入らない食材なども扱っています。
 この日も蒸し暑かったのですが、沖縄では暑い日でも食べていた「沖縄そば」を食べるぞと、味覚の受け入れ態勢は整っていたのですが、土曜日の中途半端な時間帯だったせいかどの店も準備中で、ありつけませんでした。他でお店を探します…… 

 都市というものは「おしゃれ」なだけでは成り立ちません。神戸には神戸製鋼があるように、都市を支えていく産業がなければ人を集めることも、住みやすさをアピールすることもできないわけで、自治体の将来像を描くことができません。
 大規模な企業誘致などによる経済成長を期待できる時代ではないのに、地方への税源移譲という名目で国は財政難の自治体を見放そうとしているように思えてなりません。
 地の利のある横浜や神戸でもここまでかかってきていることを、再認識するべきと思うのですが……
 はて、わたしたちは多くを望みすぎているのでしょうか? 

2008/09/02

夏を惜しむ雲──瑞穂埠頭、大黒ふ頭

2008.8.30-31
【神奈川県】

 瑞穂埠頭


 埠頭をめぐるつもりだったのですが、米軍施設のある瑞穂埠頭へは橋を渡ることもできませんでした。上写真左下にOff limitの看板があります。門の前までは行けるのでは、と思っていたのですがここで足止めです。
 横浜港内にある米軍施設を見たいというのが今回の動機なのですが、横浜ということでさすがの米軍も配慮しているのでしょうか? 首都圏に点在する米軍施設への生活物資の補給基地だそうで、兵器等は扱っていないようです(でも、ホントかな?)。
 しかし「横浜ノースドック」の名称ですから、それだけでもちょっと身構えてしまう威圧感があります。
 「ヨコハマ、ヨコスカ〜」などと並んで唱われた横須賀は完全に切り離されて、市民への配慮など必要としない「軍港」として扱われているように思える面があります。この件については、原子力空母が寄港してから行こうと思っているので、その時に報告します。
 橋のたもとに上写真の店があります。基地回りにありがちなセンスで、開店当初は米兵を当て込んだものと思われますが、裏側には運河に面したオープンテラスがあり、テレビ等で目にしたことがありそうな絵になる光景で、いまどきは結構人気があるお店かも知れません。
 ──どうも隣にある「Star Dust」の方が有名なようです。

 この後、鶴見駅より大黒ふ頭へのバスに乗ったのですが着いたら土砂降りの雨で、バスも水面を走っているような状況なので、降りずに戻って来ました。そんな方々は他にもいました。
 このバスは巡回路線で終点はないので、降ろされることなく出発地点まで戻って来られます。
 210円で可能な1時間のバス旅行ではありますが、お尻が痛くなります……

 ※「埠頭」と「ふ頭」の使い分けは現地での表示に従ったのですが、いまどきは「ふ頭」の方が多く使用されているようです。


 大黒海づり公園


 しかしこの8月末には雨がよく降りました。被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。
 今週もまだぐずつきそうとのことですし、これに秋の長雨が続いてしまうとうんざりしそうです……
 だからこそ久しぶりの晴天がうれしくて、部屋の掃除そっちのけで家を飛び出し、昨日のリベンジに向かいました。
 本日も「上空に寒気が流れ込んでいるため大気の状態が不安定で、局地的に激しい雷雨や突風のおそれがあります(聞き飽きたフレーズ)」とのことなので、ならば「雲を撮るぞ!」と向かいました。
 夏も終わるとなれば惜しむ気持ちも芽ばえてくる、というのでしょうか、表現的に正しいか分かりませんが「気持ちのいい入道雲」をこの夏は見ていないという気もしていたので……
 この夏に公開された映画『きみの友だち』のなかで「もこもこ雲」という「生きる力」の象徴として雲が扱われていました。
 常に移り変わり生まれ変わりながらも「あたり前の存在」としてある雲。近ごろはちょっとうらめしく見ていましたが、今日は空を見上げながら歩いていました。

 右写真の左下にポツッとあるのが羽田に着陸する飛行機なのですが、見えますでしょうか。
 いい絵ではありませんが、雲の大きさとの対比にはなると思われます。
 笹舟のような飛行機ですから、後ろの巨大な雲の中で翻弄(ほんろう)されながらもよくひっくり返らないものだと思ってしまいます。
 このスケールからすると「数百メートルのエアポケット」なんて当たり前と思えてきますが、遭遇はしたくありませんよね……

 「大黒ふ頭で虹を見て♪」と、活動休止で近ごろにぎやかなサザンオールスターズの「LOVE AFFAIR ~秘密のデート」に登場する場所で、ベイブリッジ開通当時は暴走族のたまり場となっていました。
 その規制用と思われるゲートがあちこちに設置されていて、おそらく週末の夜には閉鎖されることと思われます。
 日曜の昼間もメインストリートは路線バス以外の通行規制のために係の方が配置されています。路面はよくありませんが、ズドーンと広い直線道路が延びていますから、確かに走りがいはありそうです。
 広い駐車場もフェンスで囲われ立ち入り禁止になっていて、その方向からの写真が狙えないのは何とかして欲しい気がします。
 現在では、ラジコンカー(暴走族?)のサーキット場のような様相です。


 スカイタワー


 ベイブリッジの底面にある展望施設をスカイラウンジ、そこへの通路をスカイウォーク、通路までを昇降するエレベーターがある建物をスカイタワーと言います(以上、宣伝を終わります)。
 以前、ちょうど巨大客船が橋の下を通過するタイミングに居合わせたのですが、この橋をギリギリで通過していく客船があることに驚いたことがあります。
 それでも、背を低くして(船のバランスや沈み方を調整するために海水などを船底に取り込んで)通過していったのかも知れません。
 きっと3日で飽きると思いますが、豪華船クルーズってのは一度は体験してみたいもののひとつです。
 上写真は夕日の西の方角になるので、条件のいい日にはこの背景に富士山が見えるそうです(一度も拝んだことはありません)。


 巨大クレーンと入道雲の間にグレーゾーンがありますが、おそらく東京湾や対岸の房総半島からの水蒸気などではないかと思われます。
 この高さは、確かに夕日を赤く染めるようなチリやホコリ等、空気中にある物質の影響を受けやすい高度ではあるのですが、不純物が多く含まれているようにも見えてしまいます。
 北京の空気をとやかく言う前に、もう少し東京の空も澄んだものにすべきではないかと常々思います。現在でもキレイになった、と言う人はいるかも知れませんが……
 嵐の後は東京の空もキレイだ、などという気休めはもう終わりにしたほうがいいのではないでしょうか。


 ベイブリッジを支える橋脚の沖側には、離岸に衝突防止用の灯台が設置されています。
 ここへは陸づたいには行けないので、船で渡してもらう必要があります(防波堤の上の豆つぶは釣り人です)。ホント、釣り人の執念には頭が下がると言うか困ります。
 以前海の仕事をしているころ、とても降りられないような崖の下に釣り人を見つけると「どこかに道があるはずだ」と、降りて行かざるを得ない状況に追い込まれ、仕事とはいえ行きたくもない崖を歩かされた記憶があります。
 ──若い時分でも怖いと感じる場所なんですから、いまでは絶対に無理! です。
 確かに道先案内もしてくれたりするのですが、迷惑に感じたことも多々あったこと思い出します。
 一匹でも多く、もしくは狙いの魚が釣れそうな場所で釣りたい気持ちは理解できますが、横浜港で釣った魚をみなさん食すのでしょうか?
 ここだと横浜前? それっておいしいのだろうか?


 この雲の題名を「夏を惜しむ巨神兵」と名付けましたが伝わるでしょうか?
 「夏」ではなくて「夏休み」かも知れませんね……

 ここからベイブリッジ(高速道路)経由で横浜駅まで行く路線バスがあります(210円でベイブリッジを渡れることになります)。
 路線バスのサスペンション(クッション)はとても堅いので、高速道路のギャップで車内への衝撃が大きいことには、ちょっと驚きました。

 昨日の教訓を生かし? 引き時はサァーッと帰ってきて正解です。夜になってまた土砂降りでしたもの。
 季節の変わり目とは言え、豪雨にはお気をつけ下さい。
 時節のあいさつの文面も変わっていくのでしょうか……