2010/05/24

夏を待てない海遊び──平塚

2010.5.4
【神奈川県】

平塚(Map)

 これまで歩いた、鎌倉〜茅ヶ崎までの地名からは「海」が思い浮かびますが、あまり縁がなかったせいか平塚からは「平塚競輪」を想起してしまいます(七夕もありましたっけ……)。
 平塚の「塚」には、土を盛り上げて作られた墓の意味があり、そのルーツとされる伝説が残されています。
 桓武天皇(737年〜806年:平安京遷都)の血筋とされる平真砂子(たいらまさこ)が、この地で亡くなり塚を築いて弔ったが、塚は風化して平たくなった。もしくは「平氏の姫の墓」から「平塚」とされた、と伝わるようです。

 現在も都内では交通量の多い中原街道(東海道整備以前の主街道:虎ノ門〜平塚)の名は、徳川家康によって平塚に作られた中原御殿(将軍家の別荘)に由来するそうです。
 わたしの現住所は川崎市中原区で、目の前を中原街道が通り、近くに徳川家の鷹狩りに利用された小杉御殿があったことから、当時は平塚と性格が似た町だったのかも知れません。
 ですが、この付近の区名等で使われる「中原」の名称は、街道名にちなんだそうですから、ルーツは平塚にあったことになります。

 平塚では早くから工場誘致が行われ、太平洋戦争時には軍需工場が密集していたため、1945年の平塚大空襲で落とされた爆弾(焼夷弾)は、東京都八王子(航空機の製造工場があったそう)に次ぐ数だったそうです。
 平塚の「七夕まつり」は1951年に始まりますが、その前年に開催された「平塚大空襲の復興祭り」を起源とするそうです。
 東京大空襲は大きく取り上げられますが、主要軍事施設は周縁地域にあり、被害だけでなくその後の占領地とされた数や面積では、神奈川県は多い部類だと思われます(基地移設問題に絡めようとする意図はありません)。


 相模川河口の窪んだ入江に作られた須賀港の歴史は古く、空海来訪の伝説や、江戸時代には、千石船による江戸交易の寄港地として栄えたそうです。
 町中には、東海道が整備される前(江戸時代初期)の主要道とされた中原街道、その後の東海道、そして海の道と、交通・流通の要であった土地柄がしのばれる史跡が数多く残されているようです。
 ハイキング姿の年配グループのような、史跡めぐりをする方には興味深い土地かも知れません。
 これまで、駅に降り立つと海側を目指していましたが、陸側にも興味を感じはじめたこのごろです(そんなグループの仲間入りか?)。
 上写真は、須賀港にある船底の塗装場。


 上写真は、相模川の最下流に架かる新湘南大橋の海側に並ぶ釣り宿街で、『釣りバカ日誌』のハマちゃん、スーさんが現れそうなロケーションです。
 帰港する釣り船を数隻見かけましたが、出発は朝早いでしょうから、昼過ぎだとみんな上がった後なのか、所々に釣果の話題等で盛り上がるグループが見られます。
 ここの船釣りは、都心からのアクセスの良さと、季節によって狙える魚種も豊富(アジ、サバ、イサキ、マダイ、ハナダイ、ホウボウ、ヒラメ等)なことから、人気があるようです。


 以前は、漁船や釣り船も、上写真の相模川河口を経由して海に出ていましたが、現在は海側に新しい港湾施設(右写真)が作られたので、そこから海に向かう船が多いようです。
 海側の新港はマリーナ的施設なのに、係留されているのは漁船や釣り船がほとんどです。
 場所柄、釣り船の需要が多く、レジャーボート等は入り込む余地がなかったのか?
 そのため、釣り宿の目の前にある旧さん橋は使われなくなり、崩れるままの状況に見えます。
 それでも立ち入れる場所は、釣り人(おか釣り)たちに埋め尽くされています。
 釣りをしないので分からないのですが、彼らの目的って魚を釣り上げることなんですよね?
 海が好き、という気持ちは理解できますが、お金の掛からない暇つぶし、ってのもありそうな気がしました。
 どこも、釣れてるようには見えなかったもので……(大変失礼)


 海に面した新港の西側には、レジャー向けの砂浜が続いており、湘南平塚ビーチセンター前の浜辺には、様々なビーチスポーツ向けの施設が整備されています。
 ここには、ビーチバレーコート、ビーチサッカーコート、ビーチフットボール(タッチラグビーとアメフトをルーツとするような浜辺のスポーツ)コート、3 on 3(バスケットボール)コートがあります。
 利用は無料なので、愛好者が集まれば気軽に汗を流せそうな施設です。

 ビーチバレー選手の浅尾美和は「水着は小さいほど強そうに見えるんです」と、頼もしい(?)発言をしています。
 今の季節、陽気のいい日は海に飛び出したくなる気持ちは、とてもよく分かりますが(わたしも同じ)、みんなTシャツ・短パンでプレーしているので、それほど強そうな人はいないようです。
 まだ季節が早いようなので、夏には強そうな選手を見に来なくちゃ! ですね……

 海岸の沖合1km付近にある平塚沖波浪等観測塔は以前、独立行政法人防災科学技術研究所の実験場でしたが、独法機関の見直し伴い、2009年に東京大学が施設を取得し、その運営が移管されました(事業仕分けでは、このような見直しをして欲しいものです)。
 東大では、分野を超えた海洋研究と人材育成を目的とした運用を目指しているそうです。
 数ある○○法人の観測データ等の情報開示には、「義務は果たしているでしょ」との素っ気ない印象を受けることがあります(最低限それでいいのだが)。
 同じ研究機関でも、大学の報告には訴えかけてくるものがある、と感じたとき、○○法人の熱意不足に不満を覚えてしまいます。
 海上の観測塔と海底ケーブルでつながれた陸上の関連施設は、関東大震災を引き起こした相模トラフ(フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界)周辺に設置された、ケーブル式海底地震計等の中継局にもなっているそうです。
 それこそ、天下りの役人ではなく、バリバリの研究者に監視してもらいたいと思ってしまいます……

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