2022/01/10

厄年の先へ

2021.12.30【神奈川県】

 これまでの人生で「もっとも憂鬱な一年」となった、2021年が終わりました。
 静かながらも圧倒的なインパクトで立ちはだかる難敵を、乗り越えようと立ち向かいますが、「歯が立たぬ状況」の診断を冷静に受け止め、迷わず次の準備に向け撤退します。
 穏やかさを取り戻したい精神は、「厄年の先」へと向かうきっかけを、「折り合い」の落とし所とともに探るため、安定した場所で立て直せそうですし、落ち着きも取り戻せるのではないかと……(下:波風高い江ノ島)


 わたしにとって2021年は、暦を表す十干十二支(じっかんじゅうにし)が一巡し、出生時の干支に還る「還暦」にあたる大きな節目であり、また男性の厄年とされる「本厄:数え年61歳」でもありました。前回の厄年(42歳)前後に父方の伯父を亡くしたにもかかわらず、節目の厄除けに耳を貸さないから、こういうことになるとも……
 父は記憶が定かでない幼い時分に父親を失い、辛い思いをしたことから、子どもにそんな思いはさせたくないと、自身の節目では厄除けに注力していました。「一家のあるじ」としての、家族に対する「思い」を目の当たりにしながらも、その背中を見習えなかったとは、どうしたかったのだろうか? 健康と穏やかな暮らしを目指す、ではダメだったのか……(江ノ電 鵠沼駅付近 右:賀来神社、下:境川)


 術後6カ月の検査で背骨に見つかった腫瘍は、治療終了後4カ月での再発であることから、前回使用したプラチナ製剤抵抗性の早期再発がんと診断されました。
 早期再発がんとは、手術前に微小な転移がすでにあったと判断されるもので、よく耳にする5年生存率とは、この期間を含む5年を経過してがんの病変が確認されなければ、との話になるため、この時点で希望の芽は摘まれます。
 今後は、免疫チェックポイント阻害薬とされる化学療法を進めますが、抗がん剤頼みの治療による根治はきわめて困難なため、効果と副作用のバランスを見ながら治療を続け、セカンドオピニオン(国立がん研究センター 等)のお話をうかがいながら、治験を含めた治療の可能性を探ることになります。
 治療の継続には、体調管理・体力維持が不可欠ですから、できるだけ栄養を摂り、運動を欠かさぬよう心がけねばと。


 上は、実家付近(相模大野)から望む大山方面(丹沢)の山並み。
 故郷の風景は、直感に支えられる面があるので(親近感、愛着、暖かさがあればいい?)、アバウトな写真でもそれなりに伝わるかもしれません。

 天地がひっくり返るほどの衝撃にさらされた一年でしたが、撮ろうとする写真の雰囲気は変わらないので、失ったものは最小限で済んだようです。
 落ち着いた時間が満ちるであろう「厄年の先」では、これまで以上に「ゆるく」「のんびり」と構えて、写真を撮ってみようか、などと考え始めたところです。
 「のんびり時間を楽しむ」つもりでも、肩に力が入ったりと貧乏性が出そうなので、「とことん時間を楽しめる?」」が課題となるような気がします……