2011/07/25

川辺は貴重なグラウンド──新丸子

2011.7.16
【神奈川県】

 この夏東京では、まだセミの鳴き声が聞こえてきません。
 今年の梅雨明けは早かったものの、平年が7月20日前後と思うので、もう鳴き始めてもおかしくないはずです。
 春先の低温が影響しているようですが、「放射線の影響」とか言わないで下さいね!
 何かにつけ放射線の影響か? とおびえる東日本の住民は、近ごろちょっとノイローゼ気味なんですから。
 「牛丼は外国産牛肉だから大丈夫だよね?」って話になってしまうのは、お粗末にすぎます……


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多摩川河川敷 神奈川県側(Map)

 前回紹介した調布取水堰の神奈川県側になります。
 写真では分かりませんが、東京側(写真奧)には階段状の水路があり、そこが堰を越える魚たちの魚道と思っていましたが、鮎たちは手前の水しぶきを乗り越えていくようで、炎天下でも「熱中症が怖くて釣りができるか」と? 釣りバカたちが並んでいます。
 水しぶきの合間に鵜の仲間と思われる水鳥の首が見えます。種類の違う鳥も集まるようなので、やはり格好の漁場のようです。

 かなり以前に「カムバックサーモン(多摩川にサケを!)」という運動(テレビCM)がありました。「多摩川にもサケを放流し、市民の環境意識を啓蒙して、多摩川の環境を改善しよう」というもので、1982年から稚魚放流が始まります。
 その後どうなったのか調べると、累計で数百万単位の稚魚を放流し、数百程度のサケが確認されたそうで、ローカルなニュースでは結構取り上げられていたようです(水質を改善しなければ無理だったのでしょう)。
 活動の中心となった「多摩川サケの会」のホームページは、2010年1月以来更新されてないようなので、現在は活動してないかも知れません。
 そもそも多摩川に生息していなかったサケを放流すること自体、無理があったのかも知れません(化石は発見されるも、現在は房総半島周辺が南限とされます)。


 訪問は「なでしこフィーバー」や台風来襲以前の、梅雨明け直後だったので河川敷はカラカラに乾いていました。
 夢中で走り回る子どもたちは気にならないでしょうが、審判や応援・付き添いの親たちは彼らの巻き上げた土埃を浴びるわけですから、紫外線対策を含めて完全防備でないと家に帰ってから大変そうです。
 昔の親はガキの事など放ったらかしなので、「何でこんなに汚れたの!」という結果だけ見て文句を言われたものです。
 活躍の武勇伝が無い日は、へこむばかりでした……

 通勤電車の車窓から見ていると、数年に一度河川敷のグラウンド整備が行われていて、その都度キッチリと芝生が敷きつめられます。
 ご想像の通りアッという間に荒れ果ててしまいますから(ここにも芝生が敷かれていました)、あの作業って「砂漠に水」≒「河川敷に芝生」に思えて仕方ありません(工事完了直後は確かに走りたくなるようなグリーンです)。


 以前丸子橋の川崎側のたもとには、プロ野球巨人の多摩川寮がありました。
 現在ダイエーの王さんや、ジャイアント馬場(馬場正平の名でプレー)までいたそうで、東京側河川敷にあった巨人多摩川グラウンドも近いので、以前は巨人ファンがたむろしたことでしょう(そんな響きから、星飛雄馬(巨人の星)が浮かんでしまう年代です)。
 現在寮の跡地には、室内の天井が高そうなマンションが建っていますが(車窓より)、すぐそばのバッティングセンターは健在です。
 付近を歩くといつもボールを打つ音が響きますが、4〜5打席しかない小規模な施設なんですね。
 パコンパコン打っていたこの兄ちゃんのスイングはキレイなので、それだけ撮ってきました。

 大きな川でよく見かけるゴルフ練習場は、河川敷の最適な利用法ではないかと思う面があります。
 都市周辺でも広い土地を確保できますし、ボールを川に打ち込んでも文句言われないし(練習場の損害?)、とりあえず緑が敷きつめてあれば雰囲気も出るので、利用者は気分よくミスショットができそうです。
 また時折川が氾らんした時もネットを片付けておけば、泥はかぶるにしても大きな損害は無いように思えます。

 新幹線橋りょう下流の東京側にも同様の施設がありますから、ゴルフ好きの多さ(付き合いで足を引っ張らないように? 現在でも接待ゴルフってあるのでしょう)が見て取れる気がします。

 一方、少し下流にあるゴルフ場では芝の手入れが大変そうです。
 ゴルフコースにすれば河川敷は狭い敷地でしょうが、コースにお客を迎えるにはそれなりの手入れが必要になります。

 しかし、期待したのはこの光景ではなく、ゴルファーが帰った後のコースが、犬散歩の「ドッグラン」と化す様子です。
 ゴルフコースを犬が走り回っていいの? という光景は、どうもオフシーズン限定のようです。ゴルフ場も夏場は営業時間が長いようですし、手入れにも時間が必要です。
 夕暮れ時を狙ったつもりですが、夕方とはいえまだ暑いので、犬たちも散歩をせがむころ合いを計っているのかも知れません……(暗くなってからにぎわうのだろうか?)


 今では新幹線が通りますが、江戸時代には中原街道(虎ノ門〜平塚)の街道筋で、橋のない時代は「丸子の渡し」の渡船がありました。
 当時「暴れ川」とされた多摩川を渡るには苦労したようで、多摩川の対岸は別世界と考えられたことも理解できる気がします。
 そんな江戸の出入り前後の憂さを晴らす場とされたのか、新丸子付近には遊郭があったとされます。
 近所で食事する際、時折以前の様子などが耳に入りますが、その痕跡は残っていないようです。
 現在も「昔の色町の流れ」とされるラブホテルが目につきますが、綱島街道沿いに目立っていた一軒が建て替え中です(またホテルができたら驚きですが、おそらくマンションでしょう)。
 出入りする姿はたまに目にしますが、ここは現在でもはやる場所柄なのだろうか? 他の川沿いの町(登戸など)にもその名残が見られます。
 武蔵小杉に越してきたころ(十数年前)から変わらない流れとして、交通の便がいい新丸子周辺では規模の大小を問わず、マンションの建設ラッシュ(再開発)が続いており、実感として駅を利用する人が多くなった印象があります(近ごろは供給過剰かも)。
 そんな流れに飲み込まれ、遊郭の流れとされるラブホテルも「単身向けマンション」になっていくのかも知れません。


 ここは日枝神社の神輿庫(しんよこ)で、大祭では自宅前を練り歩くお神輿が納められており、ここはちょうど自宅地区の神輿庫のようです。
 この大祭は現在も地域全体が盛り上がりますが、この日、日枝神社近くの昨年まで接待場(休憩場)とされた駐車場に、家が建っているのを目にしました。
 年々運営は難しくなっても、切り抜けてきたのですから問題ないでしょうが、今年はちゃんと追いかけてみようかと思っています。

 駅ホームの階段に「ここは新丸子駅です。お間違いのないように」の張り紙があります。
 多摩川線の「下丸子」との勘違いが多いと思っていましたが、複雑な経緯があったようです。
 新丸子駅開設当時、旧目蒲線(現多摩川線)に「丸子駅」(現沼部駅)があったため、混同を避けようと「新丸子駅」とされます。
 その「丸子駅」は東横線開業後に「武蔵丸子駅」に改称され、さらに現「沼部駅」に改称されています。
 そんなにコロコロ変わったのでは、おばあちゃんでなくとも混乱するのは当たり前です。

 人の意識とは、関心のない対象には「ゆるい」方面になびき易いようで、「最寄り駅は下丸子?」と「下」の方に関心が向きやすいようだと、勝手な認識を持っています。
 「新丸子だ!」と何度言っても分からないヤツは仕方ないにせよ、要注意はタクシーで「丸子橋を渡って下さい」(「下」の方は川を渡らない)で気付くようです。
 みんな下ネタ好きで片付けていいなら、それでいいのですが……

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